40代直腸疾患(GIST-稀少がん)の超低位前方切除、一時人工肛門、人工肛門閉鎖後の排便障害を中心とするブログ

GISTとよばれる稀少がんを直腸に患った40代イクメンの稀少がん治療や育児や趣味を綴るもの

「今日が人生最後の日だったら」

 今さら私が説明する必要もないですが、スティーブンジョブズが発した名言の一部です。毎朝鏡に向かって「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」と問いかける・・・そんなスピーチだったと思います。
 さらに調べると、過去の偉人達もしばしばこのフレーズを使っているようです。

 GISTになって、この言葉を思い浮かべることがしばしばあります。
 「自分に置き換えてみると、どうかな?」
 正直、私が今の仕事をしているのは「心の底からこの仕事がやりたい」というようなそんな理想的なものではない。
 学生時代からやりたかった職に就くことができた。嫌々就いた職業ではない。やりがいもある。満足できる給料ももらっている。しかし、思い描いていたことと現実のギャップがあるのも事実。「こんなはずじゃなかった」と思うこともしばしばある。それでも、働かないと暮らしていけないし、つまり、「本当にやりたいことかどうかと言われると疑問符はつくが、生活のことを考えるとベストな選択」程度のものです。

 GISTを患っていない頃は、「今日が人生最後の日」だったらの問いに、「会社になんか行かず、家族と遊びに行っておいしものを食べたい」と答えていたと思います。

 でも、GISTを患って、少し考えが変わりました。それは、

  • 2泊3日の検査入院中、仕事に行きたくてたまらなかった。

 普段は、「今日は仕事さぼりたいなぁ」って、ちょくちょく考える私ですが、検査入院中は「早く会社に行きたいなぁ」と本音から思っていました。仕事が好きかどうかといわれると胸を張って「はい」と言えるほどではないにしても、私にとって、「会社に行って仕事をすることは嫌いなことではない。もし会社がなくなたら、『やっぱり会社に行きたいなぁ』と思えるような場所」であることがわかったのでした。

  • 家族の生活のために働くことは素晴らしいことだ!

 「給料のために働く」ということに、これまでの自分は良いイメージはなく、恥ずべきものだと思っていました。ふさわしい言葉が見つからないが、働くということはもっと高尚なことだと考えていました。
 こう考えるようになったきっかけは、GISTを患った後、「家族・特に娘たちにできるだけ多くのことを残したい」と考えたことでした。残したいもの、それは私の経験から得た知識・教訓、子どもにとっての小さいときのいい思い出、そんなものが最初に思いつきましたが、「生活していくためのお金」を残してあげたいとも強く思いました。
 働く理由にそんな高尚なものが必要だろうか?そもそ先人が狩りをしたり、農耕をしたりしたのは、「生きていくため」であったはず。と考えれば、「生活のために、給料のために働く」ことは恥ずかしいものではなく、それが「大好きな家族のために」という理由であれば、それはとても素晴らしく、高尚なことなのではないか、と思うようになりました。

 「今日が人生最後の日だったら」、今日の私のこう答えます。
 「朝早く起きて、会社に行って早く仕事をあがり、家族とおいしいものを食べ、疲れて眠るまで家族と遊びたい」